人生で一番遠い大分旅行へ⑦(10月15日大分最終日+オマケ)
朝風呂に入りたい気持ちもあったけれど、途中途中思う妙な感覚『また来よう』と思い
朝食を頂く。
夕食と打って変わって、もりもりと食べて最後はお茶漬けで締めた。
終始マスクをしていた担当の女の子の顔を初めて見るお別れ。
ポーターのおっちゃんは何故空を写さずに床を写すのか(笑)
宿もそうだけれど、どうしても名残惜しい茶房 天井桟敷へもう一度。
窓から見える一面の紅葉は今頃(11月13日)真っ赤になっているだろうか。。。
前日に予定を繰り上げ消化しているので余裕がある。
九重(くじゅう)方面へ脚を伸ばし、やまなみハイウェイをガッツリ巡って大分港に戻るスケジュール。
お袋様の疲れ具合も考慮しつつ。。。
台風14号の接近からUターンと活発化した秋雨前線の影響で、出発前には始終曇りの天気予報だったこの旅行。
気になる曇り空もなく、何かの加護だと思おうとする気持ち。
『そろそろ由布岳も見納めかな...』そういう母を展望台に下ろし、『ここまで登ったら見えるで!』と促す。
フレアだとかゴーストを処理する能力がまだ無い。
フォトショップで看板や人共を消し去る知識も無い。
ところは九重”夢”大吊橋。
とことこ先に歩いていく僕。
わかっていたんだけど、母に心配させてしまった。
中央部分まで進んで引き返してきた所でスマホを握りしめた母に出会う。
写真を撮っていると男女年寄りの団体のおっさんが『右側通行ですよ』と嫌味ったらしく言うので、『止まっていますよ!』と一括。
年寄りのくせに女がいると調子に乗る馬鹿はどこにでもいる。
眼下に『震動の滝』(雄滝・雌滝)と雄大な姿が見られ、その滝壺にも下りれるらしいが、まさかお袋を置いてそんな行動が取れるはずもなく『またにしよう』と。
吊橋のすぐ近くに白鳥神社なる神社があったので少し寄ってみた。
立派な随神門や拝殿の天井絵もなかなか良かった。
何故絞ったか覚えていない。何故かこんなところで絶妙の光条を得る。
正面は鳳凰。
拝殿が密接していてよく拝めず。
左右脇障子。
左は獅子の子落とし。
右の猛禽類は何だか首がもげそうだった。
左右破風の龍が良かった。
木組みの間にも波が彫られている。
そそくさと車に戻り、先を急ぐ...訳でもなく...
やまなみハイウェイは、ああ!ここだな!と思わせるポイントがずっと続く。
二人してソフトクリームが食べたかったので、九重やまなみ牧場。
ブルーベリーソフトクリームも飲むヨーグルトも美味しかった。
長者原付近で少しお腹が空いたという話をしだして、せっかくだからだご汁(だんご汁の事を母が小さい頃はこう言っていたらしい方言)を食べたいという事で、『ドライブステイみやま』というくじゅう連山の登山者が利用する山小屋っぽい店へ。
薄暗い店内でお世辞にも愛想が良いとは言い難いおっさんが二人厨房にいた。
とり天も有名らしいが軽く...と思い二人共だご汁だけにする。
あんまり旨くてだご汁の写真がない。
くじゅう連山を見ながら食べる最高のロケーションだった。
最後にくじゅう花公園に入ったけれど、もうお袋様は電池切れ。
少し歩いて出てきた高い入園料となった。
明らかに山を降り始める道路。
少し名残惜しさが出てくる。
帰りの乗船まで余裕はあったけれど、そのままフェリー乗り場へ。
コンビニで若干の虫養いを買って、買っておいた酔止め薬を飲んでおく。
乗船後は別に付いている訳ではない夕飯は摂らず、持っていたお菓子などを食べて終了。
展望露天風呂を覗くとおっさんでむせ返っていたので、トイレにあるシャワールームでさっと汗を流した。
『次は新幹線で行ってレンタカー借りようか...』とぼんやりと話をする。
楽しかったしお袋も楽しめたみたいで良かった。
死ぬまでにお袋を一度連れていいてやりたいと思っていたので親孝行ができたつもりになれる。
ほんとにまた行けたら最高。
頑張ろう。。。
オマケ
六甲アイランドに帰ってきたのは6:45。
ゆっくり地元に帰ってきて、行ってみたかった倉式珈琲へ入ってモーニング。
少しガッツリ食べておこうとモーニングにプラスしてフレンチトーストを注文したら、何だか最初の女の子と違うオバサンが持ってきて、『普段でしたらこの時間お出ししてないんですけど...今回は特別に...』と半ば注意を受けた。
いや、知らんがな。
旅行の記念。
今の所天国のような毎日休みなので、なかなか着ることができないTシャツ。。。
迂闊にも途中一枚の地域共通クーポンを失効してしまった。
帰りのフェリーで獲得した分は翌日僕のユニクロ背広に。
期限が短く使いにくかった。
17枚獲得して1枚のロス。
...と大学ノートに記録を書いておく。
(レシートから何から全て置いてある)
恒例の...
使った手ぬぐいを手洗いして干す。
新しく手に入れた二本はこの時はまだ風呂場。
長々とお付き合いありがとうございました。
人生で一番遠い大分旅行へ⑥(10月14日由布院観光編②)
朝から観光盛りだくさんの一日、お袋様も少々疲れ気味。
宿のチェックインまで少々時間があったので、湯の坪街道で茶店を探すもどうもココ!という店がない。
ささっと調べて金鱗湖に隣接した亀の井別荘 茶房天井桟敷さんへ。
落ち着いた雰囲気の店内に眠りを誘うほどの絶妙な音量でグレゴリオ聖歌が流れている。
全てのしつらえに心がこもっている感じがします。
機械製ではないガラスのコップ。優しいなと感じた印象的なコップでした。
※帰宅後数日、最新の研究でガラスが固形と液体の中間の物質であるという発表がありました。ガラスの中では分子が固体の結束を持ったり、液体の結束を持ったり、刻々と変化しているという説明だったと思いますが、『ああ、あのコップ...もう少し液体に近いかもな...』そんな風に思い出しました。
会計の際、お店の女性に『いつも聖歌を流されてますか?』と問うたところ、『はい。この辺りは隠れキリシタンが多かった土地ですので、いつも流しています。』との事。
そうか!という不勉強に気付く。
『素晴らしい!いいですね。』
いつにない感嘆の気持ちを伝えてお店を出ました。
さて、 昨日の残念な宿から一転、エントランスから趣のある佇まいの『千人風呂の日の春』と言われた大正時代創業の『日の春旅館』さんへ。
銭湯などの公衆浴場を好まない母の為に内風呂付きの部屋。
新型コロナウイルス感染予防の対策で、通常行われているサービスが行われない事をご説明いただいた。
致し方無い事。逆に安心。ちゃんとしている。
お袋にお茶を入れてもらい菓子を食べる。
着替えなどの旅行バッグに急遽中古購入したノースフェイスのボストンバッグに、財布などを入れたウエストバッグ、そしてロープロのカメラバッグとすごい荷物。
途中からカメラバッグに財布を入れて、常にカメラバッグを持って移動していた。
セミハードシェルタイプのプロタクティックBP350AW II。
中の仕切りを出発前にパパッと決定したけれど、『これが基本形!』という程の成功例だった。
※帰宅後も、写真(バッグ)下部の仕切りを取り外しておにぎりや着替えを詰め込む使い方もしているので、このバッグで山登りも可能だという事をうっすら考えている。
一日歩いて汗臭かったので温泉へ。
ここ日の春旅館さんには二つの家族風呂と男女一対の露天風呂がある。
どうせならと露天風呂へ。
※母はやはり内風呂を使ったそうだけれど、庭が見れていいお風呂だったという。
露天風呂には人がおらず、ああみんな家族風呂を使うんだなと思った。
湯の坪街道の裏手に当たる場所だが、前述の通り日が暮れると賑やかな店々は閉店しており、騒がしさは全く感じられない。
湯船に足を入れると...ザシッ...
初めてだ!
湯船の底に小さい玉砂利が引き詰めてある!
この年になって、尻が初めての喜びを知るとは思わなかった!
意味もなく脚を埋めてみたり、底までどれぐらいか掘ってみたり(20cmほど敷いてある)。
暗くてもわかる。
人力車の車夫さんの話の通り。
透明で何もないような感覚。
大事な事だなとしみじみ想う。
そうこうしていると夕飯の準備ができたという。
大広間のような所で他のお客と場を共にするのかと思っていたらさにあらず。
テーブルのある個室に通された。
後からわかった事だけど、二つのテーブルをつい立てで仕切った部屋も。
ここでも感染予防の為、担当の女の子は料理を持ってくるだけだった。
人によりけり。
我が家はそのほうがリラックスできたと思った。
予約時にお願いしていたノンアルコール・ノンミート・魚可に適切に対処していただき、楽しく美味しく頂いた。
『御飯のおかわりを...』と聞いてくれたけれど、おひつにもらった御飯も残してしまうほど料理がたくさん出てきた。
部屋に戻るとふかふかの布団が敷かれていた。
テレビで九州の天気予報を見ていると、地方の区分が多く、地域の区分も細かく、すげー天気予報だなと感心した。
その後、お袋を説得し露天風呂に向かわせる。
せっかく温泉宿に泊まって露天風呂に入らない手はない。
待っていると母は戻ってきて、『いいお湯やった。行って良かった。』とニコニコ。
入れ替わって僕ももう一度。
翌日も早くに退出する。
逗留すると良さそうな宿だなと、不慣れな中の大当たりを喜んで布団の中へ。
人生で一番遠い大分旅行へ⑤(10月14日由布院観光編①)
お袋が由布院で過ごした幼少期。
『毎日由布岳を見て、ああ今日はお天気やな、ああ雨が降るなって言うてたんや』と
覆いかぶさるように見えてくる由布岳を見て言います。
この時は残念ながら曇りの天気予報通り雲に隠れていました。
JR由布院駅の近くに車を停め、バタバタと最初の観光予定『辻馬車観光』へ。
他の乗客を少し待たせる格好になったので、乗車前の写真はなし。
馬車に乗るなんて初めてです!
一馬力(≧▽≦)ノ
すげーぞ!車夫を含めて11人乗ってるのに、なんのギャップもなくスッと動き出した。
駅前のアスファルトの道をパッカポッコパッカポッコいうて歩いていく。
人間でいうなら40歳ぐらいらしいベテランの名前は『サム』。
賢くて間違いを起こすことはないけれど、少しやんちゃらしい(笑)
車の往来の激しい信号のない五叉路も、路地裏みたいな細い道も、暴れもせず落ち着いてゆく。
バックミラーも付いてないのに縁石ギリギリを攻めていく!
川を渡る橋への登りが見えてくるとパカパッカパカパッカ!と駆け足で助走する!
道路工事をしていたら止まる。
トラックが来たら止まる。
時々道端の草を食べたくなる(笑)
すげー賢い!
お馬の紹介や辻辻の話を聞きながら、鐘楼門が有名な佛山寺に到着。
僕は、チラと境内を拝見した後、僕はさっさとサムの所に戻って話しかけた。
賢くて感動した。君こそが観光名物。
カメラを向けるとスッと顔を作ってくれる。
アスファルトやコンクリートの舗装路をパッカパッカポッコポッコ。
痛くないんかな?と思って蹄を撮った。
馬蹄を留める釘が見えてて、痛いのか痛くないのか。。。
ここでトラブル!
戻ってきたお客夫婦の奥様がサムの横に立って旦那に写真を撮ってもらおうとしたところ、、、
ガブリッ!!!
やんちゃなサムが奥様にじゃれたのだが、人の...しかも女性の腕だった。
歯形がついて血が出たらしい。
車夫謝る。
夫婦はあまり問題にしなかったので良かった。
オカン、若干引き気味で(笑)記念撮影。
サムは身じろぎもせず。。。
その後、宇奈岐日女(うなぎひめ)神社へ。
※ガイド冊子には『うなぐ』と書かれている。
平成3年の台風19号で大きな被災をされ、お社も新しく、、、
新川さんにお土産の狛犬の写真のみ(笑)
由布院駅に戻ってきてサムともお別れ。
とってもいい子でした。
駅前の通りを歩いていると2019年に増員...?されたベルギー生まれのシャレル?がいました。
この後、お袋様の子供の頃の記憶を辿るべく、現地ガイドさんを予約していたんですが、旅行出発前にお断りの連絡をいただき、どうしたものかと思っていたんですが、辻馬車でかなりその記憶をなぞれたようで、時間大空き!!
とりあえずお昼御飯をということで、うっすら調べていた『ねんりん』さんで和風オムライス。
食事の後、予約しておいた陶芸体験『とうき』さんへ。
若いカポーと僕らで四人。
はつらつとした先生に乗せられながらろくろ初体験。
先生は見本で、たった1秒ぐらいでご飯茶碗出現させ、それを真っ直ぐの湯呑に変形させたり、壺型の湯呑に変形させたりと自由自在。
さすがは陶芸家だ。
こちとら思うように形にならない。
お袋様は無言になり、先生や僕はキレ気味なんじゃないかと心配したけれど、単に集中していただけらしい(笑)
お袋様はご飯茶碗、僕は湯呑(と言いつつ取っ手のないマグカップ)を何とか完成させた。
最後は先生が少し表面を滑らかにして、台から切り離してくれる。
死ぬまでに一度はやってみたいと思っていたので、とても楽しかった。
誰にも邪魔されず独りで黙々とできたなら没頭するだろう。
出来上がるのは二ヶ月ほど先だという。
さて、陶芸体験が終わってもまだ時間に余裕がある。
パパッと考えて、最終日の予定を消化しておくことにした。
最終日の朝に予約しておいた人力車を電話して繰り上げてもらえないかと相談したところ快く受けていただいてお世話になった。
車夫は若いイケメンではなく少し小太りのおじさん(笑)
30分で予約していたけれど、お袋が金鱗湖を見たいというので、脚を伸ばしてもらい45分コースに。
大丈夫なのか?と思ったけれどさにあらず。
とてもいい話が聞け、お袋様の子供の頃の記憶もより一層色を帯びたようで何よりだった。
素晴らしいコントロールで石垣の小径も、有名な建築デザイナーさんが考案されたという曲がりくねった細い路地も、由布愛にあふれたトークと共にゆっくりと時が過ぎてゆきます。
辻馬車観光と少し被った部分もありましたが随所で写真を撮ってくれます。
この頃には由布岳も山頂まで見られるように天気が回復し、お袋様も大喜び。
その由布岳を見ながら、突然車夫が『少しお話していいですか?』と話し始める。
~昔から有名だった温泉場に開発の手が伸びてきて、当然リゾート化の波が押し寄せてきたんです。それでもここがこのように田んぼのままなのが何故かおわかりになりますか?観光業者たちは当然、この由布岳が一望できる土地にホテルなんかを立てようとしたんです。だけど地元がそれを許さなかった。儲けよりも何よりも、地元の温泉を守ろうと決めたんです。由布温泉のお湯が澄み切った透明なのは、こういった田んぼに降った雨が染み込んでいって、何百年もかけて由布岳の地熱で温められて出てきたのが温泉なんです。だからこの田んぼを残そうと。それで観光施設を湯の坪街道に集めたんです。その上、里の静けさを守る為に閉店時間も早めに設定したんです。だから夕方になると店は閉まって辺りに静けさが戻ってくる。そうやってあまり観光化しないように守ってるんです。そんな僕たちの想いがわかっていただければ。。。~
すげーなと思った。いい話が聞けた。
その後、ステンドグラス美術館にも行きましたが、写真撮影禁止という事で記録はありませんが、素晴らしいアンティークステンドグラスの数々が見られます。
長くなりすぎたのでここで一区切り。。。
人生で一番遠い大分旅行へ④(10月13日地獄巡り編)
別府の中心地に戻り、ベタな観光が続きます。
調べておいた名物 地獄蒸しのお店へ。
結構混んでいます。
平日なのに、みんな何やってんの?
よくわからないシステムに戸惑いながら、肉類を食べない難しさ。
大した感動もなく。。。
お袋様の疲れ具合や宿のチェックインを考えると、地獄巡りのコンプリートは難しそう。
車で移動して簡単に済ませる事に。
まずは海地獄。
バルブ開きすぎぢゃね?っていうほど蒸気が上がっています。
※自然の湯けむりです(笑)
オカンもまあまあ復活(笑)
すぐ隣の鬼石坊主地獄。
コンティニアンスAFのバーストで撮ったのに、JPEGにはこれだけしかない不思議。
※RAWを編集しようにもまともなのがない。。。
かまど・鬼山・白池と地獄を飛ばし(笑)、車で血の池地獄へ。
それぞれ噴火の爆発でできたんだという事で、へぇ...と覗き込むお袋様。
脇には小さな滝があり、1秒ほど止めてみる。
最後に行った竜巻地獄。
かなり待ったけど、、、ブッシャーーー!!!
外国のそれと比べてスケールは小さいけれど、その噴出間隔の短さは世界にも例がないほどだという事です。
20~30分おきにおよそ6~10分の噴出があり、今は石の屋根で止めてあるけれど、本当は30mぐらい噴き上がる圧力があるそうです。
一日の噴出量は600kl。。。
計算できない!!!
※右の写真は、はっ!とひらめき、『滝の反対やな!』と思って1秒?止めたんだけど、温泉そのものではなく湯けむりが全部写って何だか分からなくなったの図。
オカンとのツーショットや...
白髪長髪からプッシャー!と撮って、別府地獄めぐりは終了。
この旅最大の失敗となる宿に到着。
旅慣れない我が家で突如降って湧いたGoToの嵐。
行き帰りのフェリーを予約して、一日目の宿、二日目の宿...
はあ!!!
一日目の宿の日付が違う!
気付いたときにはもう遅い、どんどんと埋まっていく宿は、キャンセルしてもう一度開いた時には予約済み。。。
どの宿を見ていっても全部埋まってる!!!
フェリーも二日目の宿も決まってしまってる。
僕一人なら車中泊もありありだけれど、オカンは無理やーーー!
で焦ってようやく見つけたのがテレビCMでおなじみの『大江戸温泉物語 別府清風』。
『豪華なバイキングもあるし、まあこれも経験やな』とお袋と励まし合い(笑)
入った部屋はオーシャンビュー。
『まぁまぁやな』そう言っていたのですが、まあ。。。
露天風呂は別館までエレベーター含めて徒歩5分ほど(かなり遠い)。
バイキングはどれもこれも大した味ではなく。
朝食バイキングも散々でした。
まぁGoTo入れて二人で15000円。
素泊まりみたいな感じで納得。。。
そんなこんなで大分一日目は暮れていきました。
人生で一番遠い大分旅行へ③(10月13日別府ロープウェイ編)
フェリーを下りた時から目の前に悠然とその姿を見せる山々。
地元の山、六甲山やその界隈とは地質が違う事を感じる。
三角の山は目立たず、目に飛び込んでくる山は全て茶碗型。
表現がおかしいかも知れないけれど、粘っこい溶岩の火山だ。
なんやったら別府タワーからも見える...
ガイドさんの『左に見えますの”HA”...』という発音が気になって内容が入ってこない。
ちゃんと聞こえるようにする特別な発音なんだろうか。。。
不甲斐なくフェリーでやられた三半規管に追い打ちをかけるロープウェイの不規則3Dな揺れに耐え、途中山腹に見られる溶岩のそのままの姿に感動しながら、標高500mの別府高原駅から高低差800m、全長1816mで、標高1300mに到着した鶴見山上駅の外は、山頂まであと少しのハゲた広場。
七福神巡りや札所巡りと興味をそそらないイベントが目白押し。
しかし振り返るとそこには。。。
別府港や国東半島が一望できます。
山上駅からは裏側に位置する、由布院方面の展望台に興味を示していた母ですが、場所は山頂付近。
僕だけ小走りで山頂に向かいます。
衰えた身体にはなかなかのハードトレーニング。
その間、ずっと鼻を刺激する硫黄臭。
今も噴煙をくゆらせています。
一応山頂メイクしたって事で、記念セルフィーでもと思ったんだけど、割と年いったカポーが『いいよ!いい!いい!』『いやん、かっこいいわ!』とかイチャコラして全く退かず、六甲山でよくやる『山頂で戯れる猿』を撮ってきた。
お袋様に見せてやれるような感動的な写真も撮れず、山上展望地区へ引き返します。
そこへお袋様。
『あんた!カエルがおるで!』
カエル(の置物)が好きな僕に教えてくれた。
なんかガイドのお姉さんが言ってたな...
奥へ進むと...
一つの石と由緒書。
~その昔、鶴見岳の雄岳・雌岳を治めていた火之加具士命(男神:火男)・火焼速女命(女神:火売)が大権現として麓の村人たちに崇められていました。
山中に大きなわくど(現地の言葉でカエルを指す)が住み着いており、時折村に下りて悪さをしていました。
村人たちが権現様にお願いしようと嘆願したところ、二柱の神 火之加具士命(ほのかぐつちのみこと)と 火焼速女命(ひやきはやめのみこと)はこのわくどを呼び、
『これから悪さをやめ、三日三晩の内に麓の大石百個を鶴見岳山上に持って上がり、山上に御神域を作ったら私の眷属にしてやろう』と仰いました。
わくど『あな嬉しや!これで人共に嫌われる獣から神様のお使いになれるぞ!』と喜び、ありとあらゆる知恵と力を振り絞り、約束通り三日三晩の内に御神域を作り上げました。
ところで権現様。
『眷属となって何を為す』とわくどに問われたところ、
『私は知恵と力を使って一生懸命岩を持って上がりましたので、脳(知恵)と命(健康・長生き・活力)のお使いを...』
とそれを許されました。~
ってお話。
妙に感動して涙が出そうになりました。
色んな考え方のできるお話ですね。
山上駅に戻り、『おんせん娘』だったかな?と記念撮影したり、大分弁で書かれた温泉の作法がプリントされた手ぬぐいを買ったりして下りのロープウェイへ。
人生で一番遠い大分旅行へ②(10月13日臼杵石仏編)
長いよスマヌ。。。
一応船内で朝食を済ませた(;・∀・)ので、大分県最初の予定、国宝 臼杵石仏...『群』といっても差し支えない、今まで見た事のない磨崖仏の数々を見に。
大分港から大分駅にかけて魅力的な喫茶店やカフェがありますが、下船時間が6:30。
残念な朝食でした。
結構な距離を走る工程。
感じたことは大分駅周辺の都会感。
地元で見るチェーン店などもそれぞれ規模が大きく、どことなく『田舎』を連想していた自分が恥ずかしく。。。
都市部を抜ける道はどことなく地元から篠山へ抜ける道のように感じて、説明するなら『大阪の隣に篠山と三田がある』感じ。
ほぼ現着の前に、施設が整っていない事を想定してトイレを探して辿り着いたのは臼杵川にある駐車場完備の公衆トイレ。
きれいに掃除されている清潔なトイレだった。
トイレを出た時にキキキッ...キキッ...と鳥の声が聞こえたので車からカメラを取り出し
覗いた川面にはコサギ?が6羽ほど。。。
なんだ聞き間違えかと思っていると視界を横切るコバルトブルー!
カワセミだ!!!
カメラを構えてチャンスを伺っていると、そこには少なくとも3対の番いがおり、あっちこっちと飛び回っている。
不慣れな中、何とか押さえたショットがこれ。
嘴を少し開き首をかしげている愛らしい表情なのにピントは甘いしブレている。
一般的な認識より身近に生息しているカワセミ。
いつか切れるほどの輪郭を保った写真が撮りたいものだ。
さてさて...
到着したそこは、想像を遥かに超えた観光施設。(悪い意味ではない)
山々に磨崖仏があり、砂利の駐車場に車を停めて土の山道を少し歩くんだろうと思っていたのですが、お菓子屋さんの直販所があり、観光受付事務所があり、道は整備され、脚の弱ったお袋でも何とか拝見して回れました。
ゆっくりと登ってくる母の先を行き写真を撮っていきます。
『ホキ』(『岸險』ガケという意味の地名)と称される石仏群を立派な覆屋で保護した場所が山懐に四群。
その他に、よく整備された里の風景を挟んだお寺などにも室町の時代の石仏などがあります。
ホキ石仏第二群は平安末期の作。
驚くほど精巧に掘られた中尊阿弥陀如来坐像。
他の像と同じく脱落していた頭部を、昭和55年から14年の歳月を費やし保存修復。
平成7年、全国初の磨崖仏、そして九州初の国宝に指定されたそうです。
ホキ石仏第一群は平安後期から鎌倉の作。
第二群とも同じく、当時の彩色が残っている部分があり驚く。
ずらりと並んだ石仏は4つの龕(がん)に分かれており、、、
●地蔵菩薩を中尊とした地蔵十王像。
(ああ!冥府で裁きを受ける所だなと直感できる)
(台座の部分に経典などを納めたであろう穴がある)
●ホキ石仏第一群の中心的な阿弥陀三尊像。(写真右)
(中尊阿弥陀如来は眉・目・髭を墨で描かれた静まったお顔)
(平安末期の作とされるこの三尊は技法に簡略化が見られ、螺髪などの彫りがやや劣る)
●中尊の如来坐像に脇尊にも如来坐像を配す珍しい形式の山王山石仏
向かって左の如来様は特に、彫られた当時のノミ痕がありありと見られ、一刻毎に祈りを込めただろう事に思いを馳せます。
●落ちた仏頭が長く世界的に有名だった古園石仏
とこれまでみた磨崖仏とはかけ離れたスケールに息を呑む。
古園石仏に上がってゆく脇の壁に二体の不動明王像(向かって左側の像は残念ながら原型を留めていない)は、1995年の国宝指定の後2017年に追加で国宝指定されたそうです。
美しい里の田園風景の向こうに満月寺を中心にとした数々の史跡・石仏がありますが、お袋様の疲労感甚だしく、また石仏の素晴らしさに満足感も甚だしく、そのまま車へ。
次の予定に車を走らせますが、、、
集落の入り口にある有名な鳥居『深田の鳥居』。
前述の満月寺・山中にある日吉社への参道跡と考えられているそうです。
周囲の河川の度重なる氾濫で徐々に埋まっていっただろうということです。
臼杵石仏群もこの深田の鳥居も詳しい事がわかっておらず、謎の部分が多いようです。
見るからにミステリアスで興味がわきますね。
少し離れた臼杵地区から別府の中心地へ向かいます。
ベタな観光スポット、別府ロープウェイへ。
人生で一番遠い大分旅行へ①(10月12日編)
9月30日で17年務めた会社を退職。
齢50にして何考えてんだとお思いでしょうが、精神的にヤバくなっていたので、会社が希望退職の募集を始めた途端に応募しました。
世の中はコロナ禍。
会社の希望退職募集もその流れ。
10月1日から何だかボーッとしている中、政府のコロナ対策ってやつでGoToキャンペーン。
旅行費の35%が割り引かれ、10月1日からは15%が『地域共通クーポン』というもので消費者に還元されるという、コロナ禍で弱っていく旅行業やその地域の復興対策。
普段、旅行など考えもしない我が家。
最初は『他人事』のように思っていたのです。
ところが...
僕の退職。
年をとった母の故郷への想い。(連れて行ってやりたいと思う僕の気持ち)
GoToキャンペーンのタイミング。
台風14号(笑)
後でわかる事だが、旅行代金の補助額が上限1万4千円から3500円に引き下げられる。
(後に政府の追加予算の発表にもとづき各事業者が1万4千円に)
全てのタイミングが凝縮したこのピンポイントに『いっちょ大分旅行に行こうか!』って事で、旅慣れない僕たちが、何だか訳のわからない制度を利用して行ってまいりました。
10月2週目に決定して、同時に台風14号の進路ともにらめっこ開始(・_・;)
バタバタと毎日が過ぎていき、少し無理やり計画していった中には、僕もお袋も『また行ったらええやん』『また行けるように頑張ったらええやん』という気持ちがあったのかも知れません。
ひょっとしてフェリーが欠航になるんじゃないかと心配した台風14号は、巷では『マスクしてくんの忘れた』と『家の鍵閉めたか確認しに行った』とか言われるUターン。
前線の影響で曇りがちの旅行になると残念な予報。
大昔にたこフェリーしか乗ったことがなく緊張します(笑)
動画を撮ったんですが貼るのが面倒くさいので割愛。
乗った所に停めるんだと思っていたら、パカッと開く地下(そこは2F)への秘密の扉があって、そこを下った所でUターン。
もっとギチギチかと思いきや、前後左右に余裕の駐車指示。
そこ(2F)から船室の6Fまで、お袋にエレベーターを6階で降りるように指示して、僕はお袋の荷物も持って階段(*´Д`)ハァハァ
たこフェリーでは寝る間もなく、遠い昔に乗った記憶のあるフェリーでも雑魚寝だったので、客室の階を見るのは初めてです。
長~い廊下がぐにゃ~んと湾曲しているのは平気なんだろうかと心配になります。
ちょっとびっくり気味のお袋様(笑)
荷物を置いて、カメラを持って探検に出掛けます。
まずは緊急時の脱出経路の確認。
比較的前部に乗せられたため、後方の展望デッキまでは距離があり、オカンを引きずって行くには時間がかかりそうです。。。
本来であればバイキング形式の夕食・朝食共に弁当形式に。
そんなこんなをしていると明石海峡大橋をくぐるというアナウンスがあったので、展望デッキへ。
夜の暗闇に加え、想像もしなかった船の振動。
どうやって撮るのか。
ISOを上げて、シャッタースピードを上げて...
やってる間にくぐってしまった!!!
振り向きざまの一枚を船室で加工。
少しやりすぎですが、拡大せずに見る分にはかっこよくなったかなと。。。
その後は、初めての展望露天風呂を貸し切りで堪能し、眠れない夜へ。。。